毎日がエドガー・ケイシー日和にて『天皇の国師』をご紹介いただきました


ケイシーグッズ専門店テンプルビューティフルの店長日記にて
『天皇の国師』をご紹介いただきました。

https://caycegoods.exblog.jp/21941287/

引用開始
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『天皇の国師』が面白い

歯ごたえと重量のある内容ですが『天皇の国師(知られざる賢人 三上照夫の真実)』(宮崎貞行著)が面白い。祭祀としての天皇陛下、スピリチュアリズム、今の日本が抱えている問題、これからの日本のあり方、等々、いくつものテーマが折り込まれており、一気に読了しました。

天皇の祭祀としての役割がどんどん縮小、簡略化され、霊的な側面がないがしろにされてしまった原因のいったんは、実は天皇の側近でもあった某侍従長の祭祀軽視にあった、ということもこの本を通じて初めて知りました。

霊的な修行をし、神仙界、霊界からのメッセージを直に受けるという霊媒師としての顔もありながら、一方で、松下幸之助をはじめとする経済界のトップ、佐藤栄作など有力政治家、そして、天皇陛下の相談役として皇居に呼ばれることもあった三上照夫氏。その三上氏が理想とした日本という国はどういう国だったのか。

作家三島由紀夫は、亡くなる数ヶ月前、新聞に
『私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら日本はなくなってしまうのではないかといふ感を日ましに強くする。日本はなくなって、その代はりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るであろう。それでもいいと思ってゐる人たちと、私は口をきく気にもなれなくなってゐるのである』

と寄稿したそうですが、まさにそのような国になってしまった今の日本に生きる一人として、この本は日本が向かうべき未来の1つの選択肢として、希望ある方向性を示してくれているようにも感じます。

政治論、憲法論にもかなり紙面がさかれているので、普段そういった内容を飛ばし読みしがちな人にはハードルが高い部分もありますが、日本のスピリチュアリズムのいったんを知る意味でも、この本はとても面白いと思います。

以下、一部抜粋
斎場の会場で、三上は椅子に腰かけ、手足をしっかり縛って椅子につながせ、口に水を含んだ真綿と詰めて声が出ないようにした。その状態のまま、暗闇のなかで越天楽のレコードをかけ、精神集中を深めていくと、やがて2本のメガホンが踊りはじめ、人形が舞はじめる。夜光塗料を塗っているので、動きがよく見えるのである。

ある斎場の模様は、こう録音されている。

「メガホンが空中を乱舞しています。人形がメガホンと一緒に上がり、メガホンの上でシーソーゲームをしています。人形がメガホンの上で立ってダンスを、・・・すばらしいです」

この段落に入ると三上が深い変性意識の状態に入ったことが知れる。そうして、三上の体からエクトプラズムと呼ばれる幽質のエネルギーが沸出してメガホンや人形を動かしはじめるのである。

やがてメガホンから声が漏れ出てくる。明治のころの日常会話が聞こえはじめる。声は三上の声帯の幽質を用いていたから、三上の張りのある銅間声に似ていたが、三上の口には水を含んだ真綿が詰めてあるので発
声は不可能なはずであった。ところが、毎回こういう口調で神霊が出現した。
「ああ、水位じゃよ。おお久方ぶりじゃった。足は平らにいたすがよいぞ」
(中略)
水位の神霊は、空中に浮かんだメガホンから声を出し、質問に答えて、政治、経済などの時事問題から個人的な相談まで縦横無尽に語りはじめたのだった。(99-100ページ)


「実は古代の帝は、祭祀と瞑想を通じて霊覚を開き、治世を行っていたんですよ。このことを後世に『神人合一』、『祭政不二』と称したんです」
「ご存じのとおり、古代の天皇は、神降ろしの目的で周りに多数の巫女集団を養成しておられましたが、ご自身は現象界を見聞きすると同時に、裏側の潜象界を見聞きするという霊覚を開発されたいたんです。開発しようと修行なさっていたというのが、正確ですけど」(118ページ)

「古代の天皇は、そうやって修行を積まれて霊覚を開き、施政の基本方針については、みずから神意を聴いて決めておられました。そして、施政に対して起きる妨害や災害、侵略の危機、こういう悪霊の作用は周りの巫女たちが予知して未然に手を打っていたんですね。けど、昭和の今、天皇を助ける巫女もいなくなり、国家の危機を予知することはかなわず、天皇ご自身も公務優先ということで祭祀から遠ざけられ、あるべき施政について神意を聴く力も悪霊を祓う力も失われましたな」

いうまでもなく、天皇の最大の任務は、政務ではなく、祭祀をみずから執り行うことである。(123ページ)


ちなみに、三上照夫氏が主宰されていた松栢会の古神道では様々な祝詞をあげられています。数年前、南九州の聖地巡りをしたときに現地で案内をして下さった方は、その松栢会古神道の宮司さんで、その独特の祝詞は本当にパワフルで素晴らしいものでした。あの祝詞を聞きたくて、もう1回、九州の旅を企画したくらいです。

この本を読んだので、また松柏古神道の祝詞を聞きに、九州の旅、企画したくなりました。

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引用ここまで

ピンと来られた方はぜひ。